NO fishing,NO life.

中学生になり立ての頃、自分の作ったフライで魚を釣るのが夢だった時期がある。

まだまだ子供だったアタシが作るフライは、ちょっと手の込んだものを作ると、バランスを欠いたり、巻きが足りなくて浮力が得られなかったりして、なかなか釣ることが出来なかった。

単純なフライではなく、いわゆる有名なフライが巻けるようにならなければ釣れないのかと、父に高価な羽毛をねだったり、お小遣いを貯めては図鑑のように美しいフライタイイングの教則本を買って眺めたりしていた。

とある日、父の知人であった、当時釣り雑誌の編集長をしていた方に釣りに連れて行って戴く機会が訪れた。

どんなフライを持って行けばいいのか尋ねた。

答えは「真っ白なグースのドライフライを色々なサイズで、巻けるだけ巻いておいで、それと12色のマッキーもっといで」

と、言われた。

格好いいフライのひとつも巻いたり、こっそりサンスイに買いに行こうと思っていた。

そして、秋川渓谷の支流に入り、ヤマメやどこから逃げてきたブラウンを釣った。

ネイティブリバーで、宝石のような魚体が水面でフライをくわえる瞬間は、餌釣りでは味わうことの出来ない、また違った感動を与えてくれた。

その時のことを今もはっきりと覚えている。

そのとき、白いドライフライを「自分の思うようによく考えてマッキーで塗ってごらん、魚の気持ちになるんだよ」とだけ言われ、日差しや場所によって、色々塗り分けてみた。

赤く塗ったり、水棲昆虫のように茶色く塗ったり、半分だけ塗ったりして試した。

夕まずめまでなかなか釣れなかったものの、思い切ってまっ黄色に塗ったフライで魚に出会えた。

その道の大先輩達は言葉を選ばすに言えば「意外と緩い」

それは考えていないのではなく、考えた結果、肩に力が入っていない緩さ。

難しく考えず、シンプルな思考。

釣りなんて所詮、魚に遊んでいただくものであるという、謙虚な感じだ。

今思えば、その頃の感覚が今も残っているのかもしれない。

一匹、一匹との出会いの記憶は今も鮮明だが、長くやってると、人間の方のコンディションが年々変わっていくので、今のアタシは人より沢山釣りたいという欲求はあんまりない。

ただそこに水があって、魚が居れば、手持ちの道具が何もなくても、何とか捕まえたいという欲望はあいかわらずだけれどf^_^;

いわゆる、自称「ストイックに釣りをしている」人には呆れられてしまうか、嫌われちゃうかもしれない。

初めての魚を釣れば、今でも人目をはばからず泣くし、サボるときはサボる。

心が欲しがらないときは、無理して釣りをしない。だからといって釣りが嫌いなわけではない。

実はそれから20年後。あるお仲間の仕立て船で、そのときの「フライの先生」にお会いした。

本当に偶然の再会だ。

え〜○○さんのお嬢さん?今も釣りやってるんだね!

はい!あれからずっと。そして今は沖に出るようになりました!

あのときの話をしたら「そんなこと言ったんだ、俺」って笑っていらした。

それから間もなく、フライの先生はお仕事で暫く海外に行かれるので釣りは当分お預け!と、その時話しておられた。

その表情には「魚には沢山遊んで貰ったんだから、なにもガツガツ釣るこたないだろ」って余裕が見えた気がした。

魚が釣れる喜び、自然に遊んでもらう喜びは釣りをする全員に平等にあり、そして今は釣りをしていないかもしれない「フライの先生」にも…。

NO fishing,NO lifeって言葉の意味は。

「釣りがなければ生きていけない」

ではなくて。

「その時々の人生の傍らに、その時々の釣りがある」

って感じなのかも知れないなと思ったりしている。

とはいえ、船宿業やってる以上、そうも言っていられないんだけどもf^_^;

まぁ、結局そこで躓いて、相変わらずジタバタする格好悪いアタシな訳だけどさ!
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by mahimahi55 | 2012-03-15 16:21
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