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昨日思ったこと

最近、なんだか自分の周りが血なまぐさい・・。
自分の血液の血清鉄が男性平均の2倍だ。
という事実だけではなく。
(アタシの血は実際に凄い鉄臭く、室内で怪我とかするとマジで鉄臭いのです。)
冗談はさておき(血が濃いのは事実だけど)

先日の「マンションのエントランス血まみれ事件」(事件ではなかったのだが、実際は)

昨日の「潮見駅人身事故現場」

学生時代生きた細胞を取るために数多くの実験動物さんに非道な事をしてきたアタクシとしても、ショッキングな風景だった。

大抵の「視覚に訴えるもの」には耐えられると思っていた。
でも、違いました。「死」のある風景には独特の空気が流れていました。

それよりも、最近よく見かけるもっとショッキングな風景。

「事件現場で携帯のカメラ撮影をしてる人たち」
火事の現場もしかり。(野次馬な人たちのことね。)
平気でブログにUPする人もいるしね・・・。

現場を記録するという意味では大切なことかもしれない。ある意味その方の最後の声を聞くための大切な情報になるかもしれない。それは確かに大切なことだ。

第一発見者とかなら現場保存も大事だと思うし(エントランス血まみれ事件では2時間ドラマ探偵を名乗るアタクシも現場保存にいそしんだが・・・写真は撮れなかったけど)

でも、アタシには撮れないですよ、多分。アタシも人の子なんだなぁと思う瞬間だったりする。
(昨日のケースもエントランスのケースもアタシにはまったく写真を撮る必要はないのだけど・・・。)

それと、昨日思ったのは、たとえ事件性がないにしても、30分で人一人を片付けるって、なんか凄いな(いろんな意味で)って思った。

そして、もう少し電車を遅らせてもいいから、もう少しだけでも拾って差し上げてほしかった。どんな原因で亡くなった方でも。仮に見方によっては「迷惑行為」だとしても。

その方はお亡くなりになったらしい。

現場を見れば想像に難くない。

どんな原因にしても、たとえ自ら命を絶ったのだとしても(この方のケースはよく存じ上げないが)。

「死」のある風景には尊厳がなきゃいけないと思う。

最近の日本では(東京はなのかな?)スピードとか、合理性とかなんかそういうものの方が個人よりも優先されることも少なくないように思う。

病気で死のうが、自ら命を絶とうが、事故に逢おうが。

その人には生きてきた歴史がある。それは万人に公平にあると思う。

自殺を推奨しているわけでも、美化しているわけでも、正当化しているわけでもないけど。

自ら命を絶った方が、本当に「自分で命を絶ちたくて絶ったのか?」ということには誰も回答できないと思う。

自分で命を絶ちたい人なんて多分居ないんじゃないかって、アタシは思う。

何かしらの事情や病気なんかが原因で、そこにたどり着いてしまったというだけで。

結果として自分で命を絶った方であっても、その人が1日でも長く生きたいと思っていたことは間違いないと思う。

1日でも長く幸せでいたいと思っていたに違いない。

なんか、そんなことを思った。

昨日、潮見駅で亡くなってしまった方のご冥福をお祈りします。

アタシにはなんとなくその方が女性のような気がしてならないんですが。

アタシはあなたとお会いしすることはありませんでしたが、でも、あなたが生きてきた時間を否定できる人なんていませんから、安らかにお眠りください。
by mahimahi55 | 2009-05-12 19:46
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